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2013年12月28日

リュウキュウアサギマダラ集団越冬

奄美大島で、冬にみられるリュウキュウアサギマダラの集団越冬


気温が15度を下回る頃になると、奄美大島の林にリュウキュウアサギマダラは集い、集団で冬を越します。

垂れ下がる細い枝などにしがみつき、まるで薄い葉がついているかのように連なって風に揺られます。

なぜ集団越冬を行うのか、なぜこの場所にみな集まるのか、それは分かっていません。

散策路がある林を上を見ながら歩きます。


気がつけば、前方、上、右、左。美しい小さなチョウがひらひらと飛び交い、あるいは草木に留まっている姿を確認できます。


わかるでしょうか。無数のリュウキュウアサギマダラがとまっています。
近くに寄っても逃げず、気が向けばひらひら飛んでいくような優雅な仕草。


険しい道もなく観察しやすいので、冬の観光客の朝の散策などにぴったりだと思います。

美しく優雅なチョウに囲まれていると楽園にいるようで、気持ちが不思議と安らぎます。
  


Posted by h2 at 16:43Comments(0)動植物

2013年12月26日

日本復帰60年メモリアルイベント

奄美群島は2013年12月25日、日本復帰60周年の節目を迎えました。
各地でさまざまな行事・イベントがありましたが、奄美市では17時から名瀬小学校校庭でメモリアルイベントを開催。
復帰運動の舞台となり、60年前のこの日の祝賀会が開かれたこの校庭に、たくさんの人々が集まりました。

石段の上とシンボルツリーを囲むように子供たちが作ったペットボトルの灯篭が設置されました。


ステージでは子供たちによる断食悲願の詩の朗読や語り部・楠田豊春さんの言葉や、群島青年団の「つなぐ言葉」発表など。


断食の舞台となった高千穂神社から届けられた篝火を灯火。


ラジオ南日本(現・MBCラジオ)が伝えた祝賀行事の様子を再放送。8年の苦難を乗り越えて勝ち取った日本復帰の喜びが溢れかえる街や人の様子を声と映像で振り返りました。
島唄や新民謡と続き、後半には奄美出身のアーティスト・カサリンチュ、中孝介、元ちとせさんが歌を披露、華を添えました。


そして、のぼり旗と明かりを灯した提灯を持ち、市街地を提灯行列。
復帰の歌を口ずさみながら、60年前のこの日も当時の人々が行った行列を再現し、その意味を噛み締めました。


今年1年、12月25日に至るまで、本当に数々のイベントが開催されてきました。
私自身、いろんなことを考え、勉強した1年でした。
復帰50周年の時も島にいて、新聞記者をしていたはずなのですが、なにかその時よりも濃い復帰の節目となった気がします。

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第2次世界大戦が終結したあと、奄美は沖縄とともに日本本土から切り離され、米軍統治下に置かれました。
本土への渡航は厳しく制限され、パスポートの取得が必要になり、流通貨幣も米軍の「B円」を使用。奄美は日本ではなくなりました。
人、物の交易が途絶えたことで、奄美の困窮は厳しさを増すばかり
基地がなかったため沖縄のような基地産業が発展することもなく、米軍の資金の流入も少なかったため慢性的な食糧・物不足、勉学のための教科書もなく、進学にのために密航するーというありさまでした。

このような状況のなかで、次第に復帰運動が高まっていったのは必然であり、米軍によって集会や言論の自由が厳しく抑圧されるようになっても島人の熱意は薄れることがなく、大規模な断食祈願、14歳以上の在住者の99.8%を達成した署名運動といった「無血の民族運動」は中央を動かし、ついに1953年、日本復帰

12月25日の返還はアメリカからの「クリスマスプレゼント」ということですが、そのような軽い表現で表すことができないほど、この日は奄美の人たちにとって重要な日です。

10年後の復帰70周年には当時を知る人々はさらに減っていることでしょう。
それでも今回のように若い世代へのつながりができていることを期待したいです。  


Posted by h2 at 12:16Comments(0)イベント

2013年12月20日

猪瀬都知事辞任ニュース

東京都の猪瀬都知事が辞任を表明しましたね。

原因は徳洲会からの5000万円の借入金の問題

連日の都議会での集中質疑はニュースで繰り返し放映され、二転三転する答弁とともに、猪瀬知事の耳からしたたる汗や妙な顔色の悪さが印象的で、長い時間取り沙汰されているのに一向に全体像はもやもやとはっきりしない気分の悪いニュースでした。
よって辞任は、どう考えても仕方がない、と思われるものでした。



そしてこれを受けて、奄美市名瀬市街地で市民の声を聞こうと繰り出しました。

風が強く、とても寒い日でした。
それが原因かどうか定かではありませんが、答えてくれない市民の多いこと多いこと。
足を止めてくれても、「猪瀬知事の辞任について…」と言うと、
「難しい!わかんない!ほかの人に聞いて」「全然知らないんで~」
という…猪瀬知事のことをまったく知らない、という若いカップルもいました。

背景が徳洲会絡みなので答えづらい、というのならよくわかるのですが、あれだけマスコミが多くの時間や紙面を割いて騒いでいるこのニュースについて「わからない」「知らない」という人の多さに、とにかく驚きました

別に専門家のような解説を求めているわけでもありません。
しかも、少なからず奄美にも関連のあるニュースです。思うことは本当に何もないのでしょうか。

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それにしても、もうひとりの当事者である徳田毅衆議院議員はどうしているのでしょうか。

今、どこで何を考えているのか。

彼が出てくるタイミングはどこにあって、それは彼自身の意志で図れるものなのか。


さまざまな憶測が行き交います。  


Posted by h2 at 14:04Comments(0)政治

2013年12月18日

議員の資格

龍郷ついでにもう1本。

各市町村では12月議会が開かれていたが、龍郷町では議員による一般質問が1つもなく、1日で閉会したというニュースがあった。

議員としての本分である「当局を質す」ことについて、最も直接的に発揮する場である一般質問なのにそれに立とうとする議員が一人もいないとは。
しかも、龍郷町は選挙後、新町長による初の議会。それに対しても何も問いただすことはないのだという。
怒りよりも呆れた感情を抱いてしまう。



龍郷町だけでなく、奄美の各市町村議会には、以前は度々傍聴に訪れていた。

どの市町村でも、年間を通して傍聴を重ねていくと、一般質問に立つ議員、立たない議員に分けることができることに気がついた。
毎回一般質問に挙手し、当局をただす議員がいる一方で、年間を通して一度も質問をしていないのではないか、と思われる議員が幾人もいた。

しかしもちろん、ただ質問に立てばいい、というわけではない。その内容も重要だ。

私は行政関係者でもないし議員などと比べて政治的な専門知識も多くない。

しかし、議会から放たれる質問のいくつかは、正直言って「当局を質す」ということに値するとは思えないほどのものだ、と感じられた。
あらかじめ新聞などマスコミ媒体で調べたり、あるいは行政の担当者に少し聞けば瞬時にわかってしまうような内容でしかない。

それを議会で仰々しく読み上げ、首長をはじめとする当局は用意された原稿で答弁を行う。
議員から、それに対するさらなる質問や追求、要望があるのならこの場の意味があると思うのだが、その答弁に対して議員の手が挙がることがない。形式ばったやり取りで質疑は終わったのだ。

今のやりとりで、議会と当局双方にいったい何が残ったのだろう。

いったい、誰のための質問なのだろう。


そう思ったことは1度や2度ではない。

議員の報酬はけして低くない。市町村議員はそれに見合った活動をしている、と本当に胸を張れるのだろうか。

もちろん、議員の仕事は一般質問だけではない。
しかし、なかなか表に見えてこない活動の成果を、議員個々がもっとPRする努力も必要ではないか。

それが市民の投票によって選ばれ、報酬を得ている議員の果たすべき務めとも言えるのではないだろうか。


  


Posted by h2 at 23:29Comments(1)政治

2013年12月18日

龍郷湾タンカー座礁事故



奄美大島龍郷町の龍郷湾内で16日、タンカーの座礁事故がありました。
広島県の船籍「たまりき丸」(499トン、乗組員5人)で、龍郷町の九州電力が使用する燃料を運んでいたということです。

浅瀬に乗り上げてしまい座礁。オイルの流出や乗組員への被害はなかったようです。

18日の午前中、自力で浅瀬から脱出し、九州電力桟橋へ着きました。現場を通ったので様子を撮影。
オイルブロックなどを外したりと作業をしていました。


被害が少なくてなによりです。  


Posted by h2 at 17:05Comments(0)その他

2013年12月17日

与路島への旅

15日の日曜日、与路島(よろじま)を訪れました。
「しまコンシェルジェ」瀬戸内町編。足を踏み入れたことのない与路島へ初上陸です。

奄美大島と徳之島の間には3つの有人島が存在します。通常は奄美大島に属した捉え方ですが、行政区域としては瀬戸内町にあたります。それが加計呂麻島(かけろまじま)、請島(うけじま)、与路島です。

奄美大島に住んでいても、この3島を訪れたことのある人は少ないのではないでしょうか。
特に請島・与路島へは船で1時間以上かかるとあって、私も奄美に住んで10年超、やっと今回上陸の機会を得ました。

奄美大島最南にある瀬戸内町古仁屋から、定期船「せとなみ」に乗船。請島を経由し、与路島へ着くまでは約1時間半の行程。

せとなみは毎日古仁屋~与路島を運行していますが、古仁屋発着で日帰りでできるのは日曜だけ

奄美市名瀬からバスで約1時間+船1時間半=2時間半×2=往復5時間の旅。ちなみに与路島滞在時間は約3時間です。

せとなみに乗り込もうとすると、先に仔牛が乗り込んでいました。
与路島で親牛にするそうです。


海は超凪。空は曇り。船内で休もうかと入りましたが、椅子ではなくカーペットなので、毛布にくるまって雑魚寝状態。
観光船ではなく、本当に島の人たちのための生活航路なんだなあ、と実感しました。

とりあえず中は断念して、外で風を受けながら島並を眺めることにしました。


加計呂麻島に沿って東へ船は向かい、表から裏から、加計呂麻島の外観を見せてくれます。

海からしか見られない白い滝。



険しい断崖には洞窟のような穴がそこかしこに。



航海の目印とされてきた「ヒヨコ」岩。



テレビのロケ地にもなったハミャ島。


離島のなかの離島と言われる、加計呂麻島・請島・与路島。すぐ近くにあるのに、こんなに遠い。
こうして船で近づいているというのに、なぜかその感覚はさらにリアルさを増していきます。


請島を経由して、11時半ごろ与路島へ到着。仔牛たちもクレーンで釣られて無事上陸です。


与路島は現在人口98人。面積は請島よりも小さい9.35平方km。主な産業は農畜産業。
与路島といえばサンゴの石垣。見事です。


きれいに敷地を区切ってありますが、石垣の中を覗くと、家屋はなく荒地だったり。人の住んでいない空家だったりが、目につきました。

ただ、住まわれている家屋では、皆きれいに植木などを刈り込んでいて、石垣による区画も含めてとても美しく整備された集落だという印象でした。


なぜ与路島にはこれだけのサンゴの石垣が現存しているのか。

通常サンゴの石垣は豪農など裕福な人がお金をかけてやるものでしたが、与路島では、すべて結ワクでやろう、という習わしがあり、サンゴの採集は住民総出。これによって豪農だけではなく一般の人々であっても作ることができたためということのようです。

さらには各種事業によってサンゴ石垣の修復作業も進んでいるため、今も美しい家並みを保っています。

サガリバナの大木。
7-8月の夜に見られるというサガリバナ。機会があればぜひ、夏場に訪れて鑑賞したいところです。


集落内を歩いたところで港に戻り、再びせとなみへ。
小雨もあったので、帰りは毛布を頂戴して、心地よい揺れにまかせて船内でぬくぬくと帰路に着きました。

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あっという間の旅。いろんなことを考えました。

100人を切る人口。島としての将来への展望は、明るさよりも不安が大きいだろうと思います。

それでも、今訪れたこの島に対して、けして寂しいとか、廃れた印象を抱くことが少なかったのは、たぶん、住んでいる人たちの手や心遣いが集落全体に行き届いていることを実感したからだと思います。

与路島を離れる時、船が出るまで、お世話になった区長さんたちがずっと外に立ち、手を振って下さっていた姿が心に残ります。

穏やかで優しく、住んでいる島民性を感じさせる美しい島。次回はぜひ請島にも訪れてみたいです。

  


Posted by h2 at 12:20Comments(0)イベント

2013年12月02日

商店街うまいンピック


奄美市名瀬の中央商店街で30日、「秋祭り」がありました。
この日はとてもいい天気。ぽかぽかして、ずっと外にいたら暑いくらいでした。

商店街は普段見ることのできないほどの人でにぎわっていました。
周囲の駐車場も満杯。やはりこういったイベントがあればみなさん参加するんですね。

さまざまなイベントがありましたが・・・
まずは「うまいンピック」へ。概要は以下の通り。

本イベントの目的は、他の地域との交流により群島内の情報交換・発信、地域経済の活性化及び観光振興に寄与すること。また、大自然に恵まれた奄美群島の「食」を日本国内外に発信することである。(うまいンピックHPより

事前販売していたせいか、到着したころにはなんと食券が完売。ショックでしたが「現金販売しない」、ということでしたのであきらめて帰ろうとしたところ、「あまりが出てきた」ということで、なんとか食券を手に入れることができました!
しかし、出店14店舗の半数以上がすでに完売状態…。

何食分を用意するかは店に任されていたとかで、各店舗の販売食数にはばらつきがあったようです。
とりあえずまだ販売しているお店で購入。
以下、食べかけの写真ですが・・・

●ハレルヤ食堂さんの「あまみシマヤキソバ」
つきあげと豚骨がどん!と乗っかった、太麺焼きそば。カツオブシ粉的なものが麺全体にまぶされていて、かなりおいしかったです。ナリみそをソースに使っているということでした。豚骨は軟骨までトロトロ…美味。ボリュームもあって、これで300円とは!大満足でした。


●和知さんの「魚介の島雑炊」
あっさり食べやすかったです!具は・・・モズクはわかりましたが、あとは・・・すみません情報がなくよくわかりませんでした。でも同行した1歳児がモリモリと食べていました(*^_^*)

ほかにも食べたいものがありましたが、完売で残念…今後、それぞれのお店で出したりするんでしょうか。

ちなみに結果は、
①奄旨魚匠の「魚匠バーガー」
②赤木名キムチ工房の「奄美よくばり丼」
③民宿さんごビーチの「ジャーク de トルティーヤ」


ということでした!どれも食べられませんでした…(-"-)残念。

アーケード内では、宇宙兄弟のイベントが盛り上がっていました。
無重力体験は11歳までの子供限定で、見ている大人は、
「・・・(そんなにグルグル回って…大丈夫なの???)」
という感じでしたが、子供たちは全然平気なようで、行列していました。

ほかにも舞台イベントも。
とっても盛り上がっていたし、ご飯もおいしかったし、楽しかったです。

中央商店街の活性化。
現在の奄美市が進めている事業もやや混迷を極めているようですが…
やはり人が集まらないと活気は生まれないですね。本当によい方向に進んでほしいです。  


Posted by h2 at 22:55Comments(0)イベント

2013年11月25日

しまコンシェルジェ~龍郷編

「しまコンシェルジェ」講習に参加しました。
奄美を知り、学ぶこの講座。毎回奄美大島内各市町村で開催ですが、今回は龍郷町でした。

午前中は座学で、円集落出身の圓山和昭さんが民俗学的観点から円集落を語りました。

トネヤ、カミミチ、アムィゴ、ユタ、ノロ…私の大好きなジャンル。

どこかで学んだのではなく独自に興味を持ち、研究して高齢者への聞き取りを行っているという圓山さんの話は、非常にわかりやすく親しみやすく、感じたことをそのままの言葉で話す表現も、好感が持てるものでした。
座学終了後には多くの質問も寄せられ、みな興味関心をそそられたようです。
あのように、自分の興味を持ったものを私利私欲や計算もなく突き詰めていくことは、素晴らしいことなのだと思います。

その後は秋名集落へ移動。

秋名といえば、国指定無形文化財のショチョガマ・平瀬マンカイや、奄美大島随一の水田地帯で有名な、静かで穏やかなシマですが、ここの民家軒先にある「琉球石垣」を見学に行きました。


その存在すら知らなかった私は不勉強なのでしょうか。
しかし、文化財指定もされていなく、それはやはり今も人の住む民家であることが観光スポットとして詳らかにされなかった理由である気がします。


しかし、15世紀ごろのものとされる琉球石垣は、本当に素晴らしいものでした。
琉球から招いた職人によって施される高度な技術。サンゴ石を使い、一分の隙もなく積み重ねられた強固な壁。
わかるでしょうか…ピタッと合わさった継ぎ目。


どれだけの労力とお金がかかったのか…よほどの有力者であったことは間違いないでしょう。
本当に一見の価値ありです。ただし、くれぐれも民家であることに注意しなければいけませんね。騒がず、当然敷地内に勝手に立ち入ることは許されません。

大島紬村も訪れました。ハンカチの泥染め体験。久方ぶりの泥染め…とても手軽でした。
山の中の泥田で繰り返し染めを重ねていきます。


収穫、多かったですね。バスで移動中も役場担当者が、町内のさまざまな情報を解説してくれ、割合よく知っているつもりだった龍郷町のことを、実は全然知らなかったのだと、気づかされました。

長い歴史の積み重ねでできているのに、新しく上塗りされた部分のみが可視範囲であることが多いのです。
しかし、その後ろにある歴史の断片は、今もきちんと残っていて…自然に飲みこまれて見えなくなっていることも多いのですが、確かにそこにある。
みな「今」のPRに必死ですが、一見では知ることのできない「昔」のことこそ、知りたい、おもしろい、と思うのは私だけではないはずです。  


Posted by h2 at 17:05Comments(0)その他

2013年11月21日

ヤッコソウ~奄美の森で

奄美もだいぶ冷え込んできましたね。
山に入ると、より一層ひんやりとした空気に包まれていて、海は霞み、冬が近づいていることを感じさせます。

奄美大島北部の山に、冬の訪れを告げる花が咲いていると聞いて見に行きました。
ヤッコソウです。


鹿児島県レッドデータブック準絶滅危惧種。
シイやカシなどのブナ類の根に寄生します。葉緑素を持たない多年生寄生植物で、寄主に対する悪影響はほとんどないそうです。
奄美では11月上旬ごろからこの乳白色の花が顔を出します。全長約4センチ前後(左が指です)


今年は寒くなるのが遅かったため、出てくるのも少し遅いということでした。

雨後のタケノコみたいに土からひょっこり顔を出したこの植物、羽織袴のやっこさんのように花びらを広げることからその名がつきました。
木の周りに密集する様子はまるで大名行列のようです。


開いた花の間には甘いミツがたまっていて、メジロなどが吸いにやってくるそうです。
かわいらしくもどこか奇妙なやっこたちに、しばし目を奪われてシャッターを押しました。



森のなかには、ほかにも季節の植物が。
ツワブキの花。葉の茎の部分を煮て食べます。奄美の年末年始の食卓には欠かせないもので、豚肉と一緒に煮しめにします。


アリモリソウ。とてもとても小さなかわいらしい花です。

九州南部から琉球列島に分布しますが、なんと奄美大島の有盛神社にてはじめて確認されたことから、「アリモリソウ」というそうです。

ちなみに有盛神社とは、壇ノ浦の戦いに敗れ、奄美に流れてきた平有盛を祀った場所です。

  


Posted by h2 at 11:34Comments(0)動植物

2013年11月14日

インタビュー『徳洲会問題』



                        @海岸の奇岩から覗く青空
連日、徳洲会の公職選挙法違反の問題が全国ニュースで流れていますね。

全国の人たちはどんなふうに感じているのだろう。徳洲会のこと、徳田家のこと。

島にとっては非常に複雑な問題です。
先日、手伝いで、街の人々にこの問題をどう思うか、インタビューを行いました
奄美市内の人が多そうなところに向かったのですが、それはもう断られる断られる(-"-)

島の人間にとって、徳洲会は誰もが知り、そしてどこかしらでかかわりを持っている特別な存在。
安易に感想を語ることなど、リスクが高すぎる、ということですね。

それでも「いいですよ」と承諾してくれた数少ない方々の話すことは、いずれも率直な意見であり、大変参考になりました。
以下、私の覚書です。



「徳田虎雄さんは素晴らしい人。あんな人はもう出ない。虎雄さん、毅さんがこれまでに奄美、全国にもたらした貢献を考えれば、このようなことで責められるべきではない。…誰かのやっかみで、こんなことになったのではないか」

故郷である奄美はもちろん、全国に次々と病院を開業、僻地であっても高い医療レベルを受けられるように尽力してきた徳洲会の功績は、もちろん称えられるべきものであると思います。


一方で、私は一人の高齢の男性の意見が心に残りました。

「病院などは本当にすばらしいこと。でも、犯罪はダメ。すばらしいことをしていても、法を犯すことは許されることではない。法をつくる人間が法を犯してしまうなど、あってはならない。この機会に膿をきちんと出すべきだ」

きっぱりとした口調。これほど大きな事件になっても、擁護したい、徳洲会を悪くいうようなことはできない…という島人たちのもやもやした思いを払拭するように、明朗で断固とした意見に、思わずうなづき、なんだかすっきりとした気持ちになりました。

そしてもちろん、病院の経営への影響を懸念する声も多く聞かれました。

徳田毅氏が自民党を離党し、今後少し間をおいて、議員辞職の是非が取りざたされるでしょう。
地検などは徳洲会の巨額の金の流れにも注目しているといいます。そこから病院経営への影響が及ぶことへの懸念は大きくありますね。  


Posted by h2 at 09:47Comments(0)政治