2013年12月18日
龍郷湾タンカー座礁事故

奄美大島龍郷町の龍郷湾内で16日、タンカーの座礁事故がありました。
広島県の船籍「たまりき丸」(499トン、乗組員5人)で、龍郷町の九州電力が使用する燃料を運んでいたということです。
浅瀬に乗り上げてしまい座礁。オイルの流出や乗組員への被害はなかったようです。
18日の午前中、自力で浅瀬から脱出し、九州電力桟橋へ着きました。現場を通ったので様子を撮影。
オイルブロックなどを外したりと作業をしていました。

被害が少なくてなによりです。
2013年11月25日
しまコンシェルジェ~龍郷編
「しまコンシェルジェ」講習に参加しました。
奄美を知り、学ぶこの講座。毎回奄美大島内各市町村で開催ですが、今回は龍郷町でした。
午前中は座学で、円集落出身の圓山和昭さんが民俗学的観点から円集落を語りました。
トネヤ、カミミチ、アムィゴ、ユタ、ノロ…私の大好きなジャンル。
どこかで学んだのではなく独自に興味を持ち、研究して高齢者への聞き取りを行っているという圓山さんの話は、非常にわかりやすく親しみやすく、感じたことをそのままの言葉で話す表現も、好感が持てるものでした。
座学終了後には多くの質問も寄せられ、みな興味関心をそそられたようです。
あのように、自分の興味を持ったものを私利私欲や計算もなく突き詰めていくことは、素晴らしいことなのだと思います。
その後は秋名集落へ移動。
秋名といえば、国指定無形文化財のショチョガマ・平瀬マンカイや、奄美大島随一の水田地帯で有名な、静かで穏やかなシマですが、ここの民家軒先にある「琉球石垣」を見学に行きました。

その存在すら知らなかった私は不勉強なのでしょうか。
しかし、文化財指定もされていなく、それはやはり今も人の住む民家であることが観光スポットとして詳らかにされなかった理由である気がします。

しかし、15世紀ごろのものとされる琉球石垣は、本当に素晴らしいものでした。
琉球から招いた職人によって施される高度な技術。サンゴ石を使い、一分の隙もなく積み重ねられた強固な壁。
わかるでしょうか…ピタッと合わさった継ぎ目。

どれだけの労力とお金がかかったのか…よほどの有力者であったことは間違いないでしょう。
本当に一見の価値ありです。ただし、くれぐれも民家であることに注意しなければいけませんね。騒がず、当然敷地内に勝手に立ち入ることは許されません。
大島紬村も訪れました。ハンカチの泥染め体験。久方ぶりの泥染め…とても手軽でした。
山の中の泥田で繰り返し染めを重ねていきます。

収穫、多かったですね。バスで移動中も役場担当者が、町内のさまざまな情報を解説してくれ、割合よく知っているつもりだった龍郷町のことを、実は全然知らなかったのだと、気づかされました。
長い歴史の積み重ねでできているのに、新しく上塗りされた部分のみが可視範囲であることが多いのです。
しかし、その後ろにある歴史の断片は、今もきちんと残っていて…自然に飲みこまれて見えなくなっていることも多いのですが、確かにそこにある。
みな「今」のPRに必死ですが、一見では知ることのできない「昔」のことこそ、知りたい、おもしろい、と思うのは私だけではないはずです。
奄美を知り、学ぶこの講座。毎回奄美大島内各市町村で開催ですが、今回は龍郷町でした。
午前中は座学で、円集落出身の圓山和昭さんが民俗学的観点から円集落を語りました。
トネヤ、カミミチ、アムィゴ、ユタ、ノロ…私の大好きなジャンル。
どこかで学んだのではなく独自に興味を持ち、研究して高齢者への聞き取りを行っているという圓山さんの話は、非常にわかりやすく親しみやすく、感じたことをそのままの言葉で話す表現も、好感が持てるものでした。
座学終了後には多くの質問も寄せられ、みな興味関心をそそられたようです。
あのように、自分の興味を持ったものを私利私欲や計算もなく突き詰めていくことは、素晴らしいことなのだと思います。
その後は秋名集落へ移動。
秋名といえば、国指定無形文化財のショチョガマ・平瀬マンカイや、奄美大島随一の水田地帯で有名な、静かで穏やかなシマですが、ここの民家軒先にある「琉球石垣」を見学に行きました。

その存在すら知らなかった私は不勉強なのでしょうか。
しかし、文化財指定もされていなく、それはやはり今も人の住む民家であることが観光スポットとして詳らかにされなかった理由である気がします。

しかし、15世紀ごろのものとされる琉球石垣は、本当に素晴らしいものでした。
琉球から招いた職人によって施される高度な技術。サンゴ石を使い、一分の隙もなく積み重ねられた強固な壁。
わかるでしょうか…ピタッと合わさった継ぎ目。

どれだけの労力とお金がかかったのか…よほどの有力者であったことは間違いないでしょう。
本当に一見の価値ありです。ただし、くれぐれも民家であることに注意しなければいけませんね。騒がず、当然敷地内に勝手に立ち入ることは許されません。
大島紬村も訪れました。ハンカチの泥染め体験。久方ぶりの泥染め…とても手軽でした。
山の中の泥田で繰り返し染めを重ねていきます。
収穫、多かったですね。バスで移動中も役場担当者が、町内のさまざまな情報を解説してくれ、割合よく知っているつもりだった龍郷町のことを、実は全然知らなかったのだと、気づかされました。
長い歴史の積み重ねでできているのに、新しく上塗りされた部分のみが可視範囲であることが多いのです。
しかし、その後ろにある歴史の断片は、今もきちんと残っていて…自然に飲みこまれて見えなくなっていることも多いのですが、確かにそこにある。
みな「今」のPRに必死ですが、一見では知ることのできない「昔」のことこそ、知りたい、おもしろい、と思うのは私だけではないはずです。
2013年10月23日
復帰体験者が語ること
先日、戦中戦後~日本復帰を知る語り部の方のお家をおじゃましました。
当時は20歳前後の青春時代。現在は80歳を超える高齢の方ですが、非常にしっかりとしたお話しで、たくさんのエピソードを笑いや涙を交えながらお聞きすることができました。
今年は奄美群島日本復帰60周年。
60年です。ということは、当時青年だった方々は、現在80歳を超える高齢者に。
戦争体験もそうですが、年月が進むにつれて体験者は否がおうなく年を重ね、お話を聞くことのできる機会は、私たちが思う以上にものすごいスピードで減っているのだと思います。
気が付いたころには遅い。そんなふうに。
米軍統治下時代。
小さな子供を抱え、常の「食糧不足」に苦しんでいたが、いつも周りの人たちと助け合い、しのいできたこと。
車などない時代、高熱の子どもを背負って、山をいくつも越え4時間かけて医者まで走ったこと。
日本復帰し、旗を持って行列に加わった誇らしい気持ち。
しかしその後、すぐに暮らしが変わるわけではなく一つ一つ苦労を重ねてきたこと・・・・
現代とは比較にならない当時の生活や思いが聞けただけでなく、そうしたことを乗り越えて今、様々な活動に生き生き取り組む心得のようなものをたくさん聞くことができて、とても充実した時間でした。
これから12月25日に向けて、さまざまな催しが各地で予定されています。
せっかくの機会、たくさんの人が参加したらいいなあ、と思います。
新聞やテレビで知るのではなく、生の声を聴くこと。ラストチャンスに近いものがあります。そして、私たちがそこから学ぶことは想像以上に多いはずなのだと。思います。
しかし、60年以上前のこともそうなのですが、実は30~40年前の奄美、というものにも最近とても興味があります。
私の知らない奄美。たった30-40年前なのに、島の景色、人々の暮らしは大きく変わったようです。
30年前のことなら人々の記憶も確か。機会を設けて少しずつ聞き拾っていけたら何かにつながっていくような気もします。