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2013年12月26日

日本復帰60年メモリアルイベント

奄美群島は2013年12月25日、日本復帰60周年の節目を迎えました。
各地でさまざまな行事・イベントがありましたが、奄美市では17時から名瀬小学校校庭でメモリアルイベントを開催。
復帰運動の舞台となり、60年前のこの日の祝賀会が開かれたこの校庭に、たくさんの人々が集まりました。

石段の上とシンボルツリーを囲むように子供たちが作ったペットボトルの灯篭が設置されました。
日本復帰60年メモリアルイベント


ステージでは子供たちによる断食悲願の詩の朗読や語り部・楠田豊春さんの言葉や、群島青年団の「つなぐ言葉」発表など。
日本復帰60年メモリアルイベント


断食の舞台となった高千穂神社から届けられた篝火を灯火。
日本復帰60年メモリアルイベント


ラジオ南日本(現・MBCラジオ)が伝えた祝賀行事の様子を再放送。8年の苦難を乗り越えて勝ち取った日本復帰の喜びが溢れかえる街や人の様子を声と映像で振り返りました。
島唄や新民謡と続き、後半には奄美出身のアーティスト・カサリンチュ、中孝介、元ちとせさんが歌を披露、華を添えました。
日本復帰60年メモリアルイベント


そして、のぼり旗と明かりを灯した提灯を持ち、市街地を提灯行列。
復帰の歌を口ずさみながら、60年前のこの日も当時の人々が行った行列を再現し、その意味を噛み締めました。
日本復帰60年メモリアルイベント


今年1年、12月25日に至るまで、本当に数々のイベントが開催されてきました。
私自身、いろんなことを考え、勉強した1年でした。
復帰50周年の時も島にいて、新聞記者をしていたはずなのですが、なにかその時よりも濃い復帰の節目となった気がします。

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第2次世界大戦が終結したあと、奄美は沖縄とともに日本本土から切り離され、米軍統治下に置かれました。
本土への渡航は厳しく制限され、パスポートの取得が必要になり、流通貨幣も米軍の「B円」を使用。奄美は日本ではなくなりました。
人、物の交易が途絶えたことで、奄美の困窮は厳しさを増すばかり
基地がなかったため沖縄のような基地産業が発展することもなく、米軍の資金の流入も少なかったため慢性的な食糧・物不足、勉学のための教科書もなく、進学にのために密航するーというありさまでした。

このような状況のなかで、次第に復帰運動が高まっていったのは必然であり、米軍によって集会や言論の自由が厳しく抑圧されるようになっても島人の熱意は薄れることがなく、大規模な断食祈願、14歳以上の在住者の99.8%を達成した署名運動といった「無血の民族運動」は中央を動かし、ついに1953年、日本復帰

12月25日の返還はアメリカからの「クリスマスプレゼント」ということですが、そのような軽い表現で表すことができないほど、この日は奄美の人たちにとって重要な日です。

10年後の復帰70周年には当時を知る人々はさらに減っていることでしょう。
それでも今回のように若い世代へのつながりができていることを期待したいです。


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